自由至上主義(リバタリアニズム)って何?良い点・悪い点とは
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代表的思想家 |
ロバート・ノージック(Robert Nozick)[1938~2002]アメリカの哲学者 |
どんな内容? |
リバタリアンの中心的主張は,どの人間も自由への基本的権利-他人が同じことをする権利を尊重するかぎり,みずからが所有するものを使って,みずからが望むいかなることをも行うことが許される権利-を有するというもの |
利点 |
何者にも拘束されない自由意志が尊重される。自己決定が自由であり,市場の売買において制限がほとんどない。 |
問題点 |
自己決定できるだけの個人的判断力が果たしてあるのか?付随して生じる自己責任に対しての議論の余地がある。市場においては,お金さえ払えば例え臓器の売買も自由となってしまう。ここに道徳的正義との摩擦が生じてしまう。また,個人の自由を主張するのだが,『個人』とはどこからなのか?…正直言ってツッコミどころが多すぎる。 |
まいど!けいしゅけ(@keisyukeblog)です☆
本記事の要点
- リバタリアン(自由至上主義者のこと)の中心的主張は,どの人間も自由への基本的権利-他人が同じことをする権利を尊重するかぎり,みずからが所有するものを使って,みずからが望むいかなることをも行うことが許される権利-を有するというもの
- 自由至上主義において,展開されるのは『自由』についての主張である
- 『自由』の主張がなぜ台頭するのか?歴史的な背景を知る必要がある
- 自由至上主義の問題点:そもそも『自由意志』の定義があいまい。自由意志,自己決定をする『個人』とは?
これまで,これからの「正義」の話をしよう を題材として,2つの記事を書きました(リンクを下に設置してますので,よかったら読んでみてください)。今回の記事は,自由至上主義について読んで学んだことを外部記憶として記事にしようと思います。
*専門家ではない為,記述内容には誤りが含まれる可能性があります。
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目次
自由至上主義ってどんな考え方?
リバタリアン(自由至上主義者)の中心的主張は,どの人間も自由への基本的権利を有するというもの。つまり,他人が同じことをする権利を尊重するかぎり,みずからが所有するものを使って,みずからが望むいかなることをも行うことが許される権利やねん。
うん,ひとまず『ぼくたちは自由じゃ~!僕はぼく,君はきみ。自分の事はじぶんが所有してるんやから何を望もうともかまへんやんねっ!!』って言いたいんやろう。
ただ,なんとなくわかるようで…ナニイッテルのか全然わからへん。もうちょっとリバタリアン(自由至上主義者)の主張したことを書いていこか。
最小国家だけがリバタリアン的な権利の理論と自由を両立する
R.ノージックは,「最小限国家」を提唱し,国家は福祉や教育から撤退し,司法・治安維持のみ活動を限定すべきだと唱えた。
社会学 (New Liberal Arts Selection) p.305 より引用
国に個人の自由を妨げられてなるもんかっ!!ということなんやろね。
ちなみに,リバタリアンは近代国家が一般的に制定している3つのタイプの政策や法律を拒否するねん。
リバタリアン3つの拒否
- パターナリズム(父親的温情主義)の拒否
- 道徳的法律の拒否
- 所得や富の再分配の拒否
パターナリズムの拒否:シートベルトの着用義務法なんてクソくらえじゃあああ!
リバタリアンは自傷的行為を行うものを保護する法律に反対するねん。
例えば,車に乗る時のシートベルトやバイクに乗る際のヘルメット着用義務に反対するってわけ。
けいしゅけ
は?何言うてんの??何でそうなっちゃうわけ??
[/ふきだし]
リバタリアンによると,「どんなリスクを自分で取るかを決める権利を侵害しているから」反対なんやってさ。第三者に危害が及ばず,車やバイクに乗る人が自分の医療費を払えるかぎり,個人のリスクを選択するか国が指図する権利はないそうだ。
「自由の名に値する唯一の自由は,われわれが他人の幸福を奪い取ろうとせず,また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしない限り,われわれは自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由である。各人は,肉体の健康であると,精神や霊魂の健康であるとを問わず,各人自身の健康の正当な守護者である。人類は,自分にとって幸福に思われるような生活を互いに許す方が,他の人々が幸福と感ずるような生活を各人に強いる時よりも,得るところが一層多いのである。」J.S.ミル『自由論』(Mill 1859=1971: 30)
社会学 (New Liberal Arts Selection) p.304 より引用
自由至上主義(リバタリアニズム)の原点として用いられることが多いJ.S.ミル『自由論』の一節を読むと,リバタリアンがパターナリズムを拒否する理由が少しだけわかる気になれそうや。
道徳的法律の拒否:みんなが言う「道徳的にどうなの?」なんて知りませんッ!
リバタリアンは,法的拘束力を使って,多数派の持つ美徳概念を奨励する事や道徳的信条を表明することに反対する。
例えば,同性愛を禁止するなんてリバタリアンにとっては意味不明なわけや。成人同士が自分のパートナーを選ぶ権利を国から取り上げられるなんて真っ平ゴメン,個人の自由やろと主張する。
この例だけを見る限り,僕も同意する部分は大いにあるねん。
けどな…。
所得や富の再分配の拒否:たくさん稼いだのに,税金でもって行かれるなんて嫌じゃぁぁあああ!!!
リバタリアンの権利理論として,富の再分配の為の課税を含めていかなるものだろうが,他人を助けることをある人々に要求する法律を拒否するねん。
富めるものが貧しいものを支える(例えば医療や教育,住宅などへの補助金)ことは望ましいとしながらも,政府が命じるのではなくって,個人の移行に任せられるべきだと主張するわけ。
リバタリアン的に言えば,富の再分配は「そんなもん,強要やがな。それどころか…俺らの稼いだ金を盗むもうなもんやで!!だってそうやろ。ほれ,盗っ人であるゴエモンが金を盗んで貧しい人たちにバラまいたのと同じじゃぁぁぁあああ!!!!」ってなるわけや。
これまたムチャクチャな理屈やけど,一応はわかる。受け入れがたいけども。
これからの「正義」の話をしよう では,これについてマイケル・ジョーダンを例にして解説を加えている(詳しいことは割愛)。
富の再分配がなぜ嫌なのか?
リバタリアンは何故そこまでして,富の再分配を拒否するんやろか?その理由は『自由』にあるねん。
働いたお金が課税対象となり,徴収される。
これに対して,1つは「労働に対する賃金の一部が持って行かれる?それじゃピンハネ労働やんけ!道徳的に許されるんか?いいや,あかんやろ!!」っていう主張があるねん。
そして,もう1つ。こっちがメインの主張。「労働に対する賃金の一部が持って行かれる?それじゃ強制労働やんけ!どういうことか説明したるわ。ええか,もしも年収の30%が税金として持って行かれるとしようや。ほんだら,年間の労働時間の30%は税金を稼ぐために働いとることになるやろがいっ!!そやから,強制労働じゃ!強制労働はんたーーーーい!!!!!」
自由至上主義の主張から導き出される道徳的難問:私は私だけのものなのか?
合意による食人
これからの「正義」の話をしよう で紹介されているドイツであった事件の例は強烈な事例でリバタリアニズムを考えるのに役立つねん。
マイヴェスは殺されて食べられたいという人をネット広告で募集した。報酬は「その経験」を味わわせるだけ。その広告に応募したブランデス。そして,実際にマイヴェスはブランデスを食したのだった…。
同意した成人間の食人は,自己所有権というリバタリアンノの原理とそこから導かれる正義の概念に対して,究極の試練を突き付けてるわけで,同性愛者のそれとは比較にならない。
ただし,自分の身体と命は自分のものだから,自分の好きなように使って構わないというリバタリアンの主張が正しいのであれば,同意の上での食人を幇助自殺として禁止することは正義に反し,自由に対する権利の侵害となってしまう。
まず僕の立ち位置を明らかにしておこうと思う。僕はリバタリアリズムには反対や。
食人についての例は極端ではあるけれど,極端な例があるからこそリバタリアリズムが孕んでいる最大の問題点がわかるように思えるねん。正直に言うと,リバタリアンの主張って子供っぽいんよね。
自分のものは自分のものなんやからどうしたってええやんか!って言うけども,それって生まれた瞬間から言えることじゃないやろ?って思うわけ。赤ちゃんがCMに出ている時,赤ちゃんが出演承諾したわけなん?
ほんで,何歳になったら「それは君が決めた事なんやね。おっけーい!」って言えるの??何歳やったら自分で決めた事なので,臓器を売っても大丈夫ですってお墨付きを与えられるねんな??
つまり,自由至上主義者がいう「個人の自由意志,自己所有権」ってそれなりに年を取った人が自分勝手な主張を,屁理屈こねくり回してそれっぽく言っただけやと思うねん。富の再分配反対!とか言うけど,自分がとんでもなく貧しい環境で生まれ育ち,今現在も途方もなく貧しい状態で言えるのか?って思う。つまり,富の再分配反対を唱える人は,単純に自分のお金が持って行かれるのが嫌なだけだと思ってしまう。
そういうわけで,僕は自由至上主義が稚拙でワガママな主義だと思えてしまうから,反対や。『自由』ってものの価値が下がる気がする。
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