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イマヌエル・カントの正義と自由、道徳観念について

イマヌエル・カントの正義と自由、道徳観念について

代表的思想家イマヌエル・カント(immanuel kant)[1724~1804]ドイツの哲学者
どんな内容?カントの中心的主張は、ざっくりまとめると人間は大脳辺縁系に支配される部分もあるけれど、新皮質があり理性的な存在であるからこそ人間たる存在なのだ考えることが根本にあるように思われる。
人は本能からくる欲求だけに支配されているのではなく、自らに課した法則に従い、”やらなければならない と自らの理性が決めたことに従って行動する(義務論)”とき、人は自由であり、道徳的に正しいと考えた。
この自分に課す法則は、誰にとっても共通のものであり、カントはこれを「純粋実践理性」と呼んだ。
利点人間は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値するという考え方を示したことにより、人を単なる道具とみなして、ほかの人の幸せを最大化するために人を使う功利主義を否定した。この考えは21世紀初頭の「基本的人権」とわれわれが呼んでいるものの強固な礎となっている。
また、「自由とは何か?」という問いを彼が提示し、その考えを学ぶことで「なぜ私たちは人の尊厳を尊重する定言的義務を負うのか。なぜ良い目的であろうとも人をただの道具として使ってはいけないのか」ということについて思考することができる。
その延長線上で、【単なる嘘】と【誠実な言い逃れ】の間にある道徳的な意味の違いを区別し考察できるようになる点は、とてつもなく大きな意味があると思われる。
問題点まず、わかりにくい。
言いたいことは、「大脳辺縁系(本能)ではなく、新皮質(理性)に従う時に僕らは自由なのだ!」ってことなのだろう。功利主義が本能的に欲するものを効用として社会福祉の最大化を図る点について、「いやいやそれじゃ人間と動物の違いがなくなってまうやろ!人間は理性的に考え行動できるからこそ人間やねんで!!」と言ってるんやと思われる。
けれども、とにかくわかりにくい。単語がややこしすぎる。自律的と他律的、定言命法と仮言命法、傾向性…。しんどすぎる。
また、「私たちは皆、自律的な存在として自分に法則を与えるが、そこへ導く理性は一つである。」それはある種の実践的な理性であり、私たちが人間として共有しているもので、特異なものではない…。このように純粋実践理論を提唱し、人類共通の理性が存在するという。プラトンのイデア論と構造的には一緒な感じである。
ただし、こうなると「人類共通の理性があるから、理性に従えば正しい」と、トートロジーに陥ってしまうのではないだろうか(正しいから、正しい。みたいな当たり前のことを言ってて反証不可能なことをトートロジーという。)

まいど!けいしゅけ(@keisyukeblog)です☆

これからの「正義」の話をしよう を題材として、ここまで3つの記事を書きました(リンクを下に設置してますので、よかったら読んでみてください)。今回の記事は、イマヌエル・カントの哲学について読んで学んだことを外部記憶として記事にしようと思います。

*専門家ではない為、記述内容には誤りが含まれる可能性があります。

これからの正義の話をしよう【オススメ書籍】これからの正義の話をしよう功利主義とは?功利主義ってなに?提唱した人、事例、問題点についての考えを書いてみた自由至上主義とは?自由至上主義(リバタリアニズム)って何?良い点・悪い点とは

イマヌエル・カントが示した3つの対比とは?

  1. 道徳性:動機
    ➤ 義務 ⇔ 傾向性
  2. 自由:意志の決定
    ➤ 自律的 ⇔ 他律的
  3. 理性:命法
    ➤ 定言命法 ⇔ 仮言命法
けいしゅけ
ひとまず、カントの世界へようこそ!ワケわからへんやろ?

一つ一つを紐解くと、理解できるんやけど単語の意味がわからなすぎるねん。

タコちゅけ
迷宮に迷い込んだみたいでちゅ~💦💦

傾向性、自律的、定言的、英知界、感性界ってなんやねん?

けいしゅけ
それじゃ、まず最初に理解を助けるため、ちょっと僕なりのメモを書きますね。

(というか、書いておかなきゃわからんくなるからやねんけどっ!!)

MEMO

傾向性:本能的な衝動や欲望のこと


自律的:自分自身で与える法則にしたがって行動すること。これに対して、傾向性に従って行動することを他律的という

定言的:無条件的と置き換えると理解できる。これに対して、仮言的とは、なにかしら帰結や結果を求めるなど何かしら条件付きのこと

英知界:脳で言うところの新皮質、理性的な世界を意味している。実生活とは異なり、理性のみの仮想空間と思えばよさそう。この世界では物理学、生物学、神経科学など自然法則や因果律に影響を受けない。個人的には、プラトンが提唱したイデア論と類似した考え方と見ている。

感性界:脳で言うところの辺縁系、感覚的な世界を意味している。この世界では物理学、生物学、神経科学など自然法則や因果律に影響を受ける。実生活の中における感覚の世界と考えれば良さそう。

けいしゅけ
ひとまず、これらの単語がわかるだけで、カントがナニイッテルのかはわかりやすくなるで!!
タコちゅけ
ううう、不安でちゅ💦💦

対比① カントが考える道徳性とは?|義務論と傾向性の対比から導く道徳論

人の尊厳を尊重する事は、人を単なる道具とみなすのではなく、目的そのものとして考えることを意味する。
だからこそ、ほかの人の幸せのために人を使うのは間違いである。これが功利主義が間違っている本当の理由である。

カントが考える道徳論とは、人を道具としてではなく目的そのものとして考え、その尊厳を尊重し権利を守ることが重要なのだと言うもの。21世紀初頭の、基本的人権と我々が呼ぶものは、この考えを礎としている。

功利主義ってなに?提唱した人、事例、問題点についての考えを書いてみたの記事でも書いたけれど、功利主義は多数の幸福を最大化しようとするために、個人を犠牲にすることをやむなしと考えるねん。トロッコ思考実験がまさにそれやったね。

さて、トロッコ思考実験に対してカントならどんな答えを出すんやろか?

行動を道徳的に価値あるものにすることとは?

カントの考えは以下の通りや。

行動から生じる帰結でも結果でもない。行動を道徳的に価値あるものにするのは、動機、意志の質、そして行為がなされる意図である。

行動に道徳的価値を与えることができる唯一の動機は、義務の動機である。一方で、傾向性に関係するすべての動機は道徳的な価値はない。

けいしゅけ
功利主義は、帰結や結果として幸福の度合いが大きく、悲しみなどネガティブな思いをすることを最小にしようと考えるものやった。カント的に言えば行動原理が傾向性に従っているわけや。

対して、カントは帰結や結果を行動の始点かつ目的にしていないねん。彼は行動したきっかけ、つまり動機が『義務の動機』であることが道徳的であるという。「こうすべきものなんだから、やるのだ。(こうすべきものでないから、やらないのだ)」ってな感じやね。これは義務論って言われるものや。

タコちゅけ
最終的にどうなったか?によって道徳的かどうか判断するのじゃくって、どうして行動したのか?という動機にフォーカスしてるんでちゅね…。

傾向性に従ったものはダメ・・・つまり、本能的な衝動や欲望のために行動を起こしちゃ道徳的とは言えないってことでしゅね。

ちなみに、功利主義に人の尊厳を尊重する考えを取り入れようとした人がいるねん。ジョン・スチュワート・ミルや。

彼は、「正義を守り、人の尊厳を尊重すれば、人間の幸福を最大化できる」と言うてん。けれどもカントは一蹴するわけ。

「いやいや、そうは言うても結局、功利主義のミルはん。オタクは間違った理由で正義と権利を守り人を尊重してますやん。どういうことかっちゅうとやな、定言的ちゃうねん、人を尊重する行動原理が。言わば道具的な理由で尊重してる風やんけぇぇぇ!傾向性に従ってる段階でなぁ、自律的ちゃうねん、つまり自由に行動できてへんのじゃ!!」

けいしゅけ
さてさて、ここでカントの哲学で重要な要素が出てきました。人ってどんな時に自由って言えるのか?です。

功利主義を否定しているときに、彼は「人を道具的に使ってるやん。そもそも功利主義は他律的で傾向性に従っている時点で自由ちゃうし!!」的なことを言ってます。

カントが言う自由ってなんでしょうか??

対比② カントが考える自由とは?|自律的と他律的の対比から導く自由論

カントが考える「自由に行動することってどういうこと?」という問いへの答えは、自律的に行動することや。

MEMO
自律的:自分自身で与える法則にしたがって行動すること。これに対して、傾向性に従って行動することを他律的という。ここで傾向性とは、本能的な衝動や欲望を意味する言葉である。
けいしゅけ
自由に行動することとは、自分自身で与える法則にしたがって行動すること。与えられた目的のために最善の手段を選ぶことではなく、目的自体の為に目的を選ぶことである。

こんな風にカントは言うんや。

他律的な行動の例

例えば、ボールを落とすとき、それは地面に落ちる。このとき、誰もボールが自由に行動しているとは言わない。なぜか。それは自然の法則、原因と結果の法則、重力の法則に従って動いているからである。

例えば、次のような会話をしている時、Bは他律的な決定をしている。

A:「どうして勉強するん?」

B:「いい大学に行きたいからやで」

A:「なんでいい大学に行きたいん?」

B:「そら、良い会社に就職したいもん」

A:「なんで良い会社に就職したいん?」

B:「お金を稼ぎたいし、人から尊敬されるような仕事がしたいし、ブラック企業に入りたないからやわ」

A:「なんでお金が欲しいん?人から尊敬されたいん?ブラック企業に入りたくないん?」

B:「そんなもん普通にある欲求やんけ!!」

こんな風に、あることをするのは別の目的を達成するためであり、その目的を実行するのはまた違う目的のため…。と延々と続く。さらに言えば、その行動の動機傾向性に従っている。他律的に行動する時、われわれは目的を定めるものではなく、目的を達成するための道具に過ぎない

自律的に行動すること、他律的に行動する事…。違いをカンタンに説明してください!

けいしゅけ
つまり、カントがいう自律的に行動するって、自分自身で与える法則に従って「するべきもんやから、やる」と義務の動機から行動することを指すねん。

そしてこの時、その行動は自由であり、道徳的に正しいんや。

タコちゅけ
あれ?ややこしそうに思ってたんでちゅけど、結局同じことを言ってましゅ。

カントさんは、自分自身の本能ではなく、理性に与えられた法則に従って「そうせなあかんから、するんや」って義務の動機から行動することを自由な行動である、また、道徳的に正しい行為であるって言ってるんでちゅね!!

けいしゅけ
おや?理性がポイントになってんねんなぁ。さて、カントがいう理性ってどんなものなんやろか?

自分自身の理性に与えられた法則に従うのが自律的とは言うけれど、人によって変わりません?

この話の流れからすると、ちょっと無理あるんちゃうか?と思えて来ぉへん?

自分自身の理性に与えられた法則にしたがう・・・。人によって変わっちゃうんじゃないの?と。

これに対してカントは「私たちは自律的な存在として法則を与えるが、そこへ導く理性は一つである」と答えている。つまり、みんなに共通の理性があるんじゃ!!って言うてるねん。

どういうことやろか??

自分の意志によって道徳法則を選ぶとき、われわれは自分やアナタといった特定の人格としてではなく、理性的な存在に関わるものとして選んでいるねんってさ。カントはこれを「純粋実践理性」って呼んだんや。

そしてこう締める。

「ゆえに自由意志と道徳法則に基づく意志は同一である」

MEMO

純粋実践理性:特定の経験的目的とは無関係にアプリオリ(=先験的)に意志を規定する道徳法則を制定する理性のこと。

対比③ カントが考える理性とは?|定言命法と仮言命法の対比から導く理性

けいしゅけ
さて、対比も3つ目になるけれど、つまるところ言っている事は今までの2つと変わらへんから気楽に構えて欲しい。

出てくる言葉が違っているだけで、言うてる内容はホンマに一緒や。

それでは、カントの考える理性を記していこう。『定言的=無条件的に』『仮言的=条件付きで』って言い換えるとメッチャわかりやすいで。

もし行為が別の何かの手段としてのみ良いのであれば、その命法は仮言的である。

行為がそれ自体において良いとされ、理性と一致している意志にとっても必要なものであるなら、その命法は定言的である。

カントにとって、定言命法とは言わば無条件になんらかの行動を命じることであり、定言命法だけが道徳の命法たる資格を持つという。

「それは行動の実質や予測される結果ではなく、行動の形式と、行動を生じさせる原理とにかかわっている。その行動に含まれる本質的な善は、行動の結果がどうあれ、常にその心的傾向に存する。」

けいしゅけ
つまり、定言的(無条件的)にって言葉を変えているけど、自律的に行動するの件と話は一緒や。

さらに、帰結や結果に左右されず、絶対的な出発点(=目的)を持つこと道徳的に正しいって言うてる。これってつまり、義務論の件と一緒の話や。ここで言うてる帰結や結果に左右されるって功利主義の考え方やったよね?

つながってきた。定言的か仮言的か?という話は、道徳的(義務論⇔傾向性)の件と自由(自律的⇔他律的)の件をまとめたものや。

定言命法の定式化①:自分の格率を普遍化して考える

カントは定言命法の定式化の例を紹介している。1つめが自分の格率を普遍化して考えることや。

けいしゅけ
自分自身に与え、従おうとしている法則が万人に当てはめても矛盾が生じないような原則であれば、その法則は定言的であると言えるっていうテストやで。

これが、カントが紹介した定言命法の定式化の1つの例なんよ。

MEMO
格率:行動の理由となる規則や原理のこと。

ここでも格率とか新しい言葉が出てくるけども、つまるところが『自律的=自分自身で与える法則にしたがって行動すること。』で理解した部分の別の言い方やって事がわかる。

格率=行動の理由となる規則や原理のこと=自分自身で与える法則

定言命法の定式化②:人間を道具としてではなく、つねに同時に目的として扱うように行為せよ

カントの言う尊敬は、人間性そのものへの尊敬であり、すべての人に平等に備わっている理性的な能力への尊敬や。ゆえに、自分自身の人間性を侵害するのは、他者の人間性を侵害するのと同じように好ましくない。

これこそが、カントの尊敬の原理が普遍的人権主義に一役買っているんやってさ。カントにとっては、すべての人間の人権を守ることが正義やねん。

よって、功利主義を否定した言葉と同じことが繰り返されることになるねん。

けいしゅけ
人を道具としてではなく目的そのものとして考え、その尊厳を尊重し権利を守ることが重要なのだってやつやね☆

ほら、定言命法の話って今までと同じことの繰り返しやろ?

カントの正義と自由、道徳観念 まとめ

最後にカントの哲学を学んだことをまとめて終えようと思います。

カントの正義とは、功利主義を退けるものである。「何人も彼の持つ福祉感に従って幸せになることを私に強いることはできない。なぜなら他者の自由を侵害しないかぎり、人間はみな自分に合った幸福を探すことができるからだ。」

ちなみに、ここでいう自由はリバタリアンがいう自由とは全く違う。

カントが言う自由とは、自律的に行動すること。すなわち、純粋実践理性≒格率に従って行動すること。ええいわかりにくい!自分自身で与える法則に従って行動することである。反対に、本能的な衝動や欲望(=傾向性)に従うとき、われわれは自由に行動していない。

カントが考える道徳観念とは、やはり功利主義を否定する観念である。言い換えれば、行動から生じる帰結や結果を考慮する行動原理は誤りで(⇦功利主義的)、義務の動機からくる行動こそが唯一道徳的価値を持つのである。この文脈から、傾向性に関係するすべての動機は道徳的に価値がない。

けいしゅけ
以上でぃす!!(スッキリ!!)
タコちゅけ
わからへんわっ!!!

今回の記事はここまでや☆

最後まで読んでくださってホンマおおきにっ!!お時間を使って読んでくださったことに心から感謝申し上げます!

けいしゅけ
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タコちゅけ
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